他にやること?アルアル、もちろん短歌です! 知らんけど。
自粛生活の人恋しさから始めたのがこのブログ。
ワクチン接種者が増え、日々の生活に
少しづつ自由が戻って来た。
先月から、堰が切れたように
色んな所からお誘いがきて
年甲斐もなく、心が躍っている。
そんな中で、カラオケ関係の連絡が重なって
届いたので、他のことが霞んでしまった。
他の事? そう、同じ「歌」でも短歌のことだ。
カラオケが「陽」なら短歌は「陰」
決してプラスとマイナスの意味ではない。
私はカラオケで仲間たちとワイワイ陽気に騒ぎ
いわゆるに他人(人気歌手)の歌を歌って楽しんでいる。
反対に、短歌は、自分の心の動きをしっかりと
自分なりに探究し感じたことを自分の言葉で表現する。
陰陽と言ったのはこのワイワイガヤガヤと静寂のこと。
前書きが長くなったけれど、六月末に過去三カ月、
四月、五月、六月の短歌を提出した。

その、少し前に今年の一月から三月までの作品が
掲載された、カリフォルニア短歌の167号が届いた。
自分の作品があって、歌友のがあって、まず最初は、
空腹をみたすように何も考えずに、一気に読み進める。
各号ごとの松江先生の言葉も歌友のエッセイもみんな。
後は、じっくり時間をかけて、気の向くまま、読む。
165号には、同じ歌会の仲間である青木泰子さんの
エッセイ「アメリカ暮らしのなかで短歌です。」を
読んで、関西弁で「せやねん、せやねん。」
と心の中で呟いた。
今ほど、日系社会に入り込んでいなかった頃は、
よく、亡き母から、私の喋るのを聞いて、
日本人じゃない、変な日本語を喋る娘やと言われた。
確かに、英語交じりで、翻訳文を読んでいるような
喋り方だった。
短歌は限られた文字数に自分の想いを込めます。
込めようと、言葉をさがします。
自分の気持ちと言葉があったときは、何とも言えないほど
嬉しくて、例えば、誰にでも寛容になれる。
本当に? 例の嫌われ者にも寛容になれるかな。
知らんけど
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