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三十一文字で伝えたい吾が想い。わかってるって?知らんけど。

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  何度かブログしているが、 私には、二つの歌会がある。 ひとつは、カラオケの歌会、そして もう一つは短歌の歌会だ。   先日、私が所属している短歌会の 「加州短歌」172号(3/31/2023付け)が届きました。 元々は、年4回発行であったが、今は、年2回です。 この172号には昨年7月から12月の作品のうち 10首が掲載されている。 毎月の短歌の勉強会も楽しいけれど、 こうして届く 季刊誌を手にするもの嬉しいです。 自分の作品が活字化されたものを読みながら その短歌を詠んだ時の思い入れが蘇ってくる。 172号の加州短歌に載った 私の作品の一つ否、一首に 夢にでる幼馴染みは不思議にも話せぬ英語で語りかけくる アメリカの加州(カリフォルニア州)に住んで もうすぐ50年になる。 こちらに住んで、最初の頃、見る夢は みんな日本語吹き替え版であった。 今は亡きアイリッシュの義母さん、 イタリアンの義父さんの 愚痴や誉め言葉も夢の中では、日本語だった。 ところがである、コロナで里帰りが出来なかった時期も 規制が緩和されてからも、「後期高齢者」だからと、 なかなか帰る勇気?がなくて、 それこそ、帰りたい気持ちだけが 大きく膨らんでいた。 そんな時にみた夢のことを詠んだのがこの短歌でした。 短歌の面白みは、31文字に色んな思いとか、 歴史が含まれている。 大げさなと言われそうだが、 エッセイにすると2,3枚にはなると思う。 と、いうことで、 今年こそは日本に帰りたいと思っています。 言葉だけでなく。マジで。 そして、実家の布団の中で見る夢は 日本語か英語か? 知らんけど。

そして、又三か月経ちました。短歌の季刊誌やん!知らんけど。

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  先日、カリフォルニア短歌の季刊誌が届いた。 このブログを始めるまでは、季刊誌が届くたびに 過去三カ月に提出した自分の作品に目を通して 日々の生活の記憶をたどっていた。 大げさな言い方かも知れない。 しかし、日常の忙しさのなかで、 何をして、何を感じたのか考えなくなっていた。 それでも、毎日、仲間たちと会って会話を楽しみ 美味しいものを食べ、それはそれで満足していた。 ところがコロナ自粛で、生活様式が変わってしまった。 仲間うちで、皆同様に不自由な生活を我慢していて、 頑張ろうと励ましあってこの一年半、過ごしてきた。 カリフォルニア短歌の毎月の勉強会に 毎月、三首提出している。 喜怒哀楽、毎日笑ったり泣いたりそれが人生だというが、 できれば、喜怒哀楽は、Yes, No, No Yes,の順でありたい。 そうはいかないのが人生だ。 言葉で表現できそうでない胸の内をどのような言葉で 表現するか?  それも限られた31文字でね。 それが堪らなく魅力に感じている。 「が」を「に」に変えるだけで全く違う作品なったっていう 経験が何度もある。 カリフォルニアで学ぶ短歌、和歌。 ここで生活しているからこそ、大切にしたい日本語。 前のブログに書いたように、習うは一生。 いまさら聞けない〇〇とかよく出てくるけど 知らないことを習うのは恥じゃないよって。 知らんけど。

31文字に込めた思い、伝たえたい? 知らんけど。

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短歌の最終稿を夕べ、夕飯もそこそこに ああでもない、こうでもないと 考えあぐねていた。 真夜中過ぎてもぴったりくる言葉が みつからなくて難儀した。 たった31文字やん。 しっかりしいやと自分に言い聞かせた。 歌稿リストの批評、感想のコメントを読んで、 頷いたり、いやいやと首を 横に振ったりしながら自分の短歌を推敲した。 なんやかんやで、やっと3首を 最終稿として提出することができた。 最初の短歌は今に始まったことではないが、 医者からも強く言われている食生活のこと。 先月のほぼ2年ぶりの面談による定期健診で 食生活の改善を強く言われた。 揚げ物、ごはん、麺、パン大好きの私には かなり、キツイ問題である。 例えば、ランチの定番であるハンバーガーと フレンチフライとコーラ だ。 まずコーラを水にして、じゃがフライはリンゴにして ハンバーガーはパンで挟まずにレタスに包んで食べろって。 そんな、ランチの様子を短歌にしてみた。 好きなものを食べない悲しさ、健康の為と 自分に言い聞かせて それでも、食べたい気持ちが勝っている。 伝わりますか? この気持ち。 それは、カリフォルニア短歌の季刊誌に掲載された時に 聞いてみます。 2,3か月後に。 知らんけど。