又、ひとり逝ってしまった。青春時代の思い出と一緒に。知らんけど。
先ず、日課のヤフーニュースを開けて
ざっと見出しに目をはしらせた。
ドキッと胸に痛さが走った。
ハーブ研究家のベニシアさん死去の文字。

もちろん私が初めてベニシアに会ったのは
私が成人式を迎える前で、ベニシア自身も
ハーブ研究家なんて肩書もなかった。

ベニシアも私もインド人のグルマハラジのフォロワーだった。
SNSのフォロワーじゃないよ!
グルマハラジの教えを受けた人達はプレミーと呼ばれて、
私も、ベニシアもプレミーであった。
私は、グルマハラジを追って印度に行った。
もちろん大阪在住のインド女性から個人教授で
インド全般のことを学んでからだったけれど。
先生の名前はバキシーさん。
最初の一週間はホテルとバキシーさんの妹の嫁ぎ先の
ニューデリーの近代的なお家にお世話になった。
その後、バキシーさんの実家のあるインドの夏の首都シムラに
移動して、ご両親と二人の妹さんの住むお家に滞在させてもらった。
決して、グルマハラジのアシュラム(修行所)に
行くことを忘れたわけではなかったが、
シムラでインドの生活を色んな分野で学んだ。
その時の写真です。インドのサリーを着せてもらい
バキシー先生のご両親と記念撮影。
約半年間のインド旅行の後、
当時、フォロワー達は、京都の左京区にある円通寺の奥にあった
一軒家を借りキョートアシュラムとか
プレミーハウスと呼んで共同生活をしていた。
私は、週末に通って瞑想に参加。
色んなマハラジ関連の講演会には一緒にボランティア活動した。
私の母親は、娘がカルト集団に監禁されてるなんて
大騒ぎしたことも今は、懐かしい。
ベニシアの話にもどろう。
アメリカに住んでいる私の家にベニシアの最初の旦那さんが
旅行の途中で泊まったことがあった。
それが縁で私たち家族4人が日本に行った時、
京都の大堰町のベニシアのお家に
泊めてもらったことがある。
当時、ベニシアは、自宅と複数の教室で
英会話学校を経営していた。
英会話学校を経営していた。
生徒さんを連れてイギリス旅行を
何回かしたとか話してくれた。
何回かしたとか話してくれた。
残念ながら、山岳写真家の旦那様とは
お会いしたことがない。
お会いしたことがない。
NHKワールドのベニシアの番組を長年観ていて、
その後一度も会っていないけれど、
体調の不具合なんかを番組で知り、
日本とアメリカ、
日本とアメリカ、
離れているが、自分の近況を思いながら
一緒に歳を重ねた感がある。
ベニシアが逝ったニュースをみて、
あの時代を一緒に活動し、
あの時代を一緒に活動し、
同じ時代を生きた人を
失ったことを悲しく思います。
失ったことを悲しく思います。
本当に寂しく思います。
いつも最後の言葉は、「知らんけど」だが
今日のブログは、それはない。
ベニシアさんと会えて本当に良かった。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌
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