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「どうでも演歌」フリーモントの発表会やねん!知らんけど。

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  さて、いよいよ発表会、当日の模様です。 レイレイの「どうでも演歌」 フリーモント教室の発表会が 「Tokyo Onigiri Tea Room」で開催された。 歌手協会米国友の会の藤本会長と一緒に私たちは ロスアンジェルス教室代表として参加した。 午後一時から徐々に人が集まり昼食を兼ねた 日台の親睦会が和気あいあいで進行していった。 藤本会長は、フリーモントの生徒たちに  歌手協会米国友の会の説明を精力的にしていた。 そしてリサイタルが始まると、レイレイ先生の 歌手協会友の会のサンフランシスコ地区の 支部長就任の発表もあった。 そして、いよいよメインイベントの発表会である。 各自3曲歌うのだが、フリーモントの生徒は 99%日本語が母国語でない人たちです。 その人たちが、日本語で演歌の名曲を これまた素晴らしい歌声で披露してくれました。 発表会が盛り上がり絶好調の時、近接の Cupertino市の市長さんが応援に駆けつけてくれました。 (左から二人目の女性) ロスアンゼルスから日曜日に民謡の堀さんが サプライズで駆けつけてくれました。 それも歌ごとに衣装を替えて登場。 藤本さんは、やはりご自身作詞の 「海を渡った人生」でキマリ! 歌が良かったのか、歌手がよかったのが、知らんけど。 歌手協会友の会へ寄付も頂いたようです。 フリーモントの皆さんの日本の歌への情熱に圧倒されました。 恥ずかしながら私も頑張って中国語の歌を歌いました。 歌い、踊り、楽しい会話、何度目かの乾杯を するうちに、夜も更け「今日の日はさよなら」の 時間となった。 フリーモントの生徒に囲まれてレイレイ先生が いかに愛されているか伝わってきました。 最後にフリーモント教室の課題曲の一つ 「上を向いて歩こう」の大合唱で発表会の幕を閉じた。 楽しい一日でした。 祭りの後の寂しさもちょっぴり感じながら会場を後にした。 翌日は、ホテルをチェックアウトしたら ロスアンゼルスに向けて直行のはずだったのだが、 そうではなかったのだ。 まだ、まだ「どうでも演歌」フリーモントは 歌い足りないようだ。 きょうは、ここまでにしよう。 発表会の後日談は次の機会に。 知らんけど。

「どうでも演歌」はるばる来たぜフリーモントへの巻。知らんけど

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 南カリフォルニア、モントレーパークにある 「どうでも演歌」レッスンのレイレイ先生が 2年前からサンフランシスコ地区でも 「どうでも演歌」レッスンを展開している。 今回は、サンフランシスコから車で2時間の フリーモントで発表会があった。 行った理由、私個人は、ただ単に好奇心で 北カリフォルニアの 「どうでも演歌」レッスンがどんなものか 見たかったのが正直なところです。 公的な目的で、日本歌手協会米国友の会の藤本会長も この催し物に参加した。 サンフランシスコ地区の人々にレイレイが同友の会の サンフランシスコ支部長になったことを紹介するためである。 私たちは、土曜日の正午にモントレーパークを出発し、夕方 フリーモントに着いた。 レイレイの「Tokyo Onigiri Tea Roon」は 翌日の発表会の準備の 真っ最中だった。 お店の前のパティオにもテーブルをセットしてあった。 土曜日の夕方のフリーモントはちょっと雨模倣。 日曜日、晴れになあーれって願った。 日曜日の準備が一段落するのを待っているうちも 正午から何も食べないで車をとばしてきたので 私たちは、めっちゃお腹が空いていた。 ハングリー、腹へったの合唱でようやく 夕飯をとることができた。 夕食のあと、夜も更けて 翌日のBig dayのため私たちは、宿舎へと移動した。 私たちのフリーモント訪問は始まったばかりです。 今日のブログはここまで。 この次は、いよいよ発表会、リサイタルの様子を ブログします。 乞うご期待! 演歌を媒体とした楽しい交流会の様子だと。 知らんけど。

フリーモントでどうでも演歌リサイタルいよいよ開催!知らんけど

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  随分前にこのブログでレイレイの カリフォルニア北部にある ミュージックスタジオでの グランドオープニングの様子を書いた事があった。 市長さんとかを招いてね。 今回は、サンフランシスコから車で2時間弱、 サンホセから約3,40分のフリーモント市にある レイレイのレストランで大きな催し物がある。 フリーモントの生徒さんは、日本語以外が言語の人たちです。 その人たちが、日本の演歌をレイレイ先生のもとで 熱心に練習してきた歌を発表会で披露してくれる。 場所はレイレイの新しいお店。 "Tokyo Onigiri Tea Room" まあ、わかりやすく言えば 「東京おにぎり茶店」か、知らんけど。 とにかくフリーモントに行ったことがないので 気になった。 やっぱり行ってもみたい。 住所をググってみた。 なかなか、良い感じのコンプレックスだ。 増々、行きたくなったわ。 元々、この春は、気管支炎で日本行きは諦めたから 近場のカリフォルニア内の週末旅行ならいいだろう。 ヨシ、行ってみよう、行ってやろう! ワクワク、ドキドキ、どうにも止まらない。 知らんけど。

西本願寺の歌謡祭に行ってきたねん。何年振りやろ?知らんけど。

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  昨日の日曜日、リトル東京の西本願寺の 大歌謡祭に行ってきた。 お正月の米国紅白歌合戦がなくなってから お寺さんのステージは拝見させてもらってない。 過去の紅白の時と同じで司会は西タックさんだ。 いつも一緒にカラオケを楽しんでいる歌友の 応援するためとか、 滅多に、会わない、会えない人達と会えるのを 期待して来た。 実際、何年振りかで会うことが出来て 感無量、嬉しかった。 会場に中では、中央に観客の為の椅子が並べられていて、 両脇にテーブルブースで、手芸小物類のバザール、 水素水、ドジャース関連グッズ、みたらし団子 おにぎりやスイーツもあった。 一部と二部,計24人のパーフォーマンス。 その中には、いつもの「海を渡った人生」を歌った 歌手協会友の会の藤本会長もいた。 会長がいれば、理事長の廣川さん、理事で今回の 主催者であるよなみさん、 顧問で金曜会の会長、昭子さんも。 ルンルンカラオケ主催者の荒木先生もだ。 そして、いつも一緒にカラオケ楽しんでいる、 歌友の悦ちゃんもだ! 素晴らしいパーフォーマンスだった。 あっ、そうそう歌謡祭の様子はどうだったかって。 例えば、会場をわかした、ステージネーム「フェイク美川」 もちろん美川憲一の「さそり座の女」 懐かしい、YMCAのジェスチャーをしながら観客も 一緒になって大合唱。 民謡の松豊会の皆さんによる日本の伝統芸能を 楽しむことが出来た。 楽しい一日だった。 疲れたけれど、楽しかった。 「人生の扉」じゃないけれど  この先いったい何度   見ることになるだろう  知らんけど

いよいよ明日、西本願寺で大歌謡祭あるよ~ 知らんけど。

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  まだまだ先のこただと思っていたら いいよいよ明日だ。 せやねん! 関西クラブからのメールで再確認した。 明日の出演者リストも送られてきた。 西本願寺といえば、日系コミュニティーにとっては 毎年お正月に米国紅白歌合戦を49年間もの長い間 開催されていたが、コロナ禍で、50周年をまえに 催し物がなくだった。 寂しく思っていたところの西本願寺での歌謡祭だ。 楽しみだ。 歌友のパーフォーマンスもだが、久しぶりにリトル東京に 足を運んでくれる人達と会うのも楽しみだ。 80才以上は、無料だし、送迎バスもあるという。 楽しいイベントになるだろう。 知らんけど。

関西弁の知らんけどは、ただの知らんことではないよ。知らんけど。

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籠り居を強いられたコロナ禍に始めたこのブログ。 「なんや知らんけど」とタイトルをつけて 日々の出来事、思ったことを書き綴ってきた。 ブログを始めたころ、関西弁の「知らんけど」 色んな意味、ニュアンスなんかを例をだして 説明したことがある。 今朝、いつも連絡をくれる歌友からちょっと違った 画像が届いた。 関西人が会話の終わりに言う「知らんけど」の い色んなニュアンス、意味合いを送ってくれたのだ。 それで、五年ほど前、ブログの題名について 書いたのが下記です。 もちろん、本当にに知らないこともあるのだがね。       関西人の結び言葉の「知らんけど」 奥の深い言葉です。 少なくとも私は、最高の言葉と 常々思っている。 知らんけど。 例1)コロナ禍の初期のころの、 ”ちょっとしたインフルエンザ程度よ 心配ないって。知らんけど。” 情報が曖昧である”知らんけど” 例2)”毎晩、午前様のご帰宅で、 家庭内別居かも、知らんけど” 当人同士しか分からないことで 責任回避の”知らんけど” 例3)バレてないと、思い込み 何度も浮気しているアンポンタンに ”証拠写真とられてるよ、知らんけど” この場合はバカもほどほどにせよとの 忠告の”知らんけど” 例4)長々と彼氏の愚痴を聞かされた後で、 ”そやけど、やっぱり君が一番やと 彼は、思っているよ、知らんけど” 思いやりの”知らんけど” 例5)本当は大した出来事ではないが、 いっぱい尾ひれをつけて、 面白可笑しく話し、 最後に知らんけどと言う。 聞く人が 何や知らん事を長々話してたのかいな。 知らん事を話すなよと 笑いの落ち。 関西弁の「知らんけど」をYoutubeで検索していたら 面白い動画があったので見てください。 関西弁講座ーおっちゃんねる 知らんけど。

どうでも演歌Los Angeles カラオケご当地ソングやて!知らんけど。

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                              随分前に、このブログにも書いたことがある 「コモエスタ ロスアンジェルス」が 今日のトピックスです。 歌手協会米国友の会の会長で、 北川裕二の「海を渡った人生」の 作詞者藤本章の作品第二弾のことです。 ロスアンジェルス界隈に住む私たちには 嬉しい、いわゆる「ご当地ソング」だ。 ただ、悲しいことに?私たちの参加する 色んなカラオケクラブにはこの歌は 配信されていない。 それで、カラオケバージョンを YouTubeにアップした。 それから、昨日米国友の会の藤本章会長から連絡がありました。 毎年8月に開催される日系コミュニティー最大のイベント、 二世週祭に日本歌手協会の会長で歌手の田辺靖雄、妻で歌手の 九重裕三子、あべ静江さん達、10人プラスを 藤本会長が招待したとのこと。 もちろん、工藤夕貴さんも8月10日、日米劇場に出演して 「コモエスタ ロスアンジェルス」を歌って踊ってくれるだろう。 楽しみである。 だから、である。 今年は、日本からたくさんの歌手が来て、 二世週祭を華やかなものにしてくれるだろと期待している。 ここ、ロスアンジェルスのご当地ソング 「コモエスタ ロスアンジェルス」を歌って 盛り上げようではないか! 知らんけど。